「救った」と思っていた父親が、一番救われていた
毎朝、ランドセルは玄関にあった。
行くか行かないか、その答えが出るまで、ランドセルだけが先に準備されていた。娘がそこに置いたのか、前の夜から動いていないのか、私には確かめる術がなかった。ただ、台所で湯を沸かして、朝ごはんを作った。
2ヶ月間、それだけをやり続けた。
特別なことは何もしなかった。声をかけても返事がない日も、布団から出てこない日も、「おはよう」と言って、ごはんをテーブルに置いた。何かが変わる手応えは、ほとんどなかった。
その朝、娘は「行ってくる」と言った。
ポニーテールの後ろ姿が、いつもより少しだけ速く見えた気がした。玄関が閉まって、しばらく、その場を動けなかった。外の空が、思ったより青かった。
そのとき私は、娘が回復した、と思った。
だが、少し時間が経って気づいた。うつ病で仕事を辞めたのは、娘の不登校より5年前のことだ。引きこもるように家にいた時期があった。毎朝起き上がれたのは、妻がいたからだ。三人の娘がいたからだ。そのことを、私はほとんど考えないようにしていた。
娘に「おはよう」と言い続けたあの2ヶ月は、娘のためだったと思っていた。
でも本当は、朝ごはんを作る理由が必要だったのは、私のほうだった。ランドセルが玄関にあることを確認したかったのは、娘ではなく私だった。玄関が閉まったあと動けなかったのは、救った側の感動ではなく、救われた側の安堵だった。
支えているつもりの人間が、一番その関係に支えられている。
弱さは、消えれば強さになるのではない。弱さのままで、誰かの隣に置けることがある。完璧じゃない父親の、「おはよう」が、娘の「行ってくる」につながった。
立派じゃなくていい、という話ではない。立派じゃないまま、台所に立ち続けることが、誰かの朝を作ることがある、という話だ。
その構造は、家族の話だけではない。職場でも、友人関係でも、どこかで誰かに「おはよう」と言い続けている人がいたとしたら、その人が一番それを必要としている、ということがある。
自分が当事者だと気づくのは、たいてい、玄関が閉まってからだ。
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