さよなら、O先生。

一昨日、僕の小学校時代の恩師、
O先生が亡くなった”らしい”という知らせが、
同級生から入った。

「お通夜や葬式などの詳しいことはわからない」
とのことだった。

僕に知らせてくれた友人も、
人づたえでO先生が急逝されたことを聞き、
詳しい状況がつかめていないようだった。

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O先生は僕が3年生、4年生の時の担任だった。

先生は毎朝、サングラスをかけて、
真っ赤なファミリアに乗って登校していた。
目鼻立ちがはっきりした美人で、
いつもファッションモデルみたいなパーマとメイクでバッチリ決めて、
ブランド物の派手な服を着ていた。
ネックレス、指輪なんかも、ゴロゴロしててすごかった。
夏の水泳の授業ではレースクイーンが着るような
ハイレグ水着で授業をしていた。
今考えると、
漫画やドラマの設定にしても、
やりすぎのような先生だった。

O先生は、
すごく明るく楽しい先生だったが、
同時に、とても厳しい人でもあった。
しかし勉強の成績とか生活態度とは別に、
生徒の”オモロイ所”を見つけて、
それを褒めたり、
イジって面白がるような所があった。

僕は何度かO先生に、
「あなたは、発想が面白いし、
文才があるから、
それを伸ばしんさい」
言われた。

それでその気になって、
中学、高校、大学と進む中で、
文章力とアホな発想力を磨くことに注力した。

そして大学を卒業する時に就職せず、
ライターになるために某雑誌社で
ものすごい安い賃金で働いた。
その後も、文章が書けそうな仕事を選んで渡り歩いた。
どこも給料が安く、労働時間が半端なく長かった。

35歳過ぎて芸人も始めた。
それから以後、
「ようやく自分らしい人生を歩めるようになった」
という氣分でいる。

O先生に出会ってなかったら、
今のような人生を選んでなかったと思う。

僕の生き方を、
「自由で楽しそうで良いですね」
と言ってくれる人もいる。

しかしこれはこれで色々と苦労があり、
後悔することも多々ある。
(やっぱり大学出る時に、
ちゃんと就職活動して、
安定した会社に入っておけばよかったかな)
と。

しかしいつも、
(これが自分らしい生き方かな)
と思い直す。

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僕が30歳を過ぎてから、
O先生を囲んで2回ほどクラス会をした。

僕らが小学3、4年生だった頃は、
「いつも明るく元気で、なんでも知っててなんでもできる、
完璧な先生」
という印象だった。

それから20年が立ち、
お互い「大人」として話をしてみると、
先生の意外な一面が見えた。

先生なりに、
悩んだり壁に行き詰まったりしながら、
生きていた。

意外に思ったのと同時に、
なぜかホッとした。

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僕らが小学生だった頃は、
そういう先生が当たり前だったのだけど、
「怒鳴ったり、
叩いたりした生徒たちに、
謝りたい」
といったことも言っておられた。

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O先生は60歳で定年退職された後、
再任用で教職を続けられていた。
「再来年、2020年に65歳で退職することになるだろう」
とおっしゃっていたので、
「その時に、またクラス会しましょう」
と言いながら、
和風レストランの駐車場で、
O先生を見送ったのが、
最後になってしまった。

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僕はO先生の葬儀が始まる40分前に、
その場所と開始時間を知ることとなり、
慌てて準備して葬儀場に向かった。

着いた時にはすでに出棺の準備が始まっていた。
棺に横たわる先生の顔は、
本当にただ眠っているだけのように見えた。
今にも、
「西山君!」
と起き出しそうだった。

先生を乗せた車が走り去るのを見送った後、
砂浜を歩いているよな、
フワフワした感じで、
家に帰った。

何度も涙が出た。
何もやる気が起こらず、
(できればずっと寝てたいな)
と思いながら、晩御飯の準備をしたり、
洗濯物を取り込んだりした。

夜になって、
(数日、このブルーな気持ちを抱えて過ごすことになるんだろうな)
と思いながら布団に入った。

眠っていると、窓も開けてないし風もないはずなのに、
僕が寝ている和室のふすまがガタガタと鳴り、目が覚めた。
(氣味悪いな)
と思いながら、また眠りに落ちた。
それからしばらくして、
またふすまがガタガタ鳴った。
(ひょっとしたらO先生が最後のお別れに来てくれたのかな)
と思ってまた眠った。
それから朝6時の目覚ましが鳴るまで、
ふすまが鳴ることはなかったので、
多分、O先生だったんだろう、
と思うことにした。

目覚めてカーテンと開けると、
ずいぶん暖かくなり、陽が昇るのも早くなったことを、
改めて感じた。

(春が来るぞ! 春が来るぞ!)
妙にワクワクしている自分がいた。
妻と娘を送り出した後。
一冬、我が家の床を覆っていた電気カーペットを剥ぎ取り、
そこらへんに散らばっていた本だのプリントだの習字道具だのを片付けて、
床を全てむき出しにしてから、一気に掃除機をかけた。

昨晩のふすまのガタガタがO先生だとするなら、
最後のお別れに来たというよりは、
我が家の散らかりようを、
注意しに来たのかもしれない。
「はいっ! 西山君っ! 整理整頓っ!」
とかいって。

O先生、ありがとうございました。
おかげで、家がずいぶんと片付きました。

春はもうすぐ。